しばらく三億円事件ネタを優先してしまい、間が空きましたが、お絵描きに戻ります。
前回は、ある程度絵を描き始めている初心者向けの絵の図法について書きました。
今回はちょっとお絵描きしてみたいけど自信が無くて躊躇している人向けに、絵が苦手な人は何で絵心が無いのか?について述べていきたいと思います。
この弱点を知った上で常に問題意識を持って絵を改善し続ければ、確実に画力は向上します。
が、その前に・・・。
このようなツイートを見掛けました。
初心者向けブログとか初心者向け動画とか初心者向けツイートとかで間違った用語・理論・技法広げるのホントやめて。間違うならひとりで勝手に間違えてて…
— おまえ(CV:玄田哲章) (@omaenogunpla) 2020年12月16日
確かに今まで続けていた当方の初心者向けお絵描きのブログ記事も、専門家やプロの学術的な指導要領に基づいて書いてきた訳ではないので、この人に言わせれば間違った用語・理論・技法を広めている事になります。
当然当方的には、悪意があって意図的に誤情報を拡散させていたつもりは毛頭ないので、このツイートを見て正直激しく凹みました。そして、一気に書く気が失せました。
そこで、以降既に書き上げてしまった文章の内、今回と次回の2回で初心者向けお絵描きの記事は中止する事にしました。ご了承下さい。
お絵描きと言っても様々なので、いままで書いた記事もあくまで一つの参考例で、色々な方法の内で当方が提案する一例であるという捉え方で読んで頂きたく思います。
ツイ主さんが考えて認定する正しい方法だけが正しい訳ではないとも思うので、色々な初心者向けの情報に触れてみて、ご自身で用語・理論・技法を取捨選択して正誤を見極めていって頂ければと思います。
という事で本題に戻って、今回は幼少時に出鼻を挫かれてしまって絵に苦手意識を持ってしまった人に関して述べてみました。
- 絵心のない人の共通点、最初のつまづき
当方は子供の頃小柄でガリガリに痩せていて、スポーツが苦手で嫌いでした。
学校で皆より身体能力が劣っていたので、同じことを皆と同じように出来ず、自信を失ってスポーツが嫌いになりました。
絵が苦手な人も似たパターンかと思います。
自分は絵心が無くて絵がヘタクソだと思い込んでいる人の多くも、子供の頃の些細なきっかけで自信を喪失して、それ以降絵を封印し続けている人が殆どだと思います。
殆どの人は学校などで、自分の描いた絵を些細な理由でバカにされたりからかわれたり、友人の絵と比較して劣等感を感じたりして、絵を描いたら周囲からバカにされるかもしれないという恐怖感や誰かより下手という劣等感から、次第に絵を描くことを避けるようになって、以降絵から遠ざかってしまっているものと思われます。
子供同士の絵の上手い下手の基準なんて全く当てにならないモノですし、仮に先生や大人等からバカにされて嫌になったとしても、じゃあその大人はプロや絵師のような高度な絵が描けて、その上でバカにしたかというと、恐らくバカにした先生や大人はまともな絵が描けない筈ですし、絵の審美眼や子供の心が理解できない大人だったのだと思います。
そのような切っ掛けから、伸び伸びとした自由な発想をスポイルされて、絵を描くという楽しさを奪われたまま過ごしてしまったのは大変惜しい事です。
正直、子供の頃バカにされた事は今更全く気にする必要は無いと思います。
ただ、その時点で絵に封印してしまい、子供の頃で技術と感性の進歩が止まってしまっています。
そして絵心が無いと言われる人には共通点が見られるので、絵に苦手意識がある人は以下の点に留意して絵を描いてみる事を推奨します。
- 絵の下手な人に共通する顕著な問題点
絵心が無い人は、同じ問題点を抱えています。
それは、描く対象に対して圧倒的に観察力が欠落している点と、観念的な意識が強すぎてバイアスを掛けた表現方法しか出来なくなっている点です。
- 描く対象に対して圧倒的に観察力が欠落している
絵の下手な人は、長年絵を描くことに封印している間に圧倒的に観察力が欠落してしまっています。
絵を描き続けていた人は、対象物を細かく観察する能力が長年の訓練で徐々に養われているので、見たままを絵で表現する事が出来ます。
更に今までの経験が蓄積されているので、今では何も見なくてもスラスラ描けたりします。
絵の下手な人はその訓練が全く出来ていない為に、対象物を見てもドコをどういう風に観察すれば良いかの勘所が養われておらず、インプットもアウトプットも出来ません。
これは音痴な人と似ています。
音痴な人は、自分で歌いながら自分の歌声を聴いて音程をコントロールし、同時に伴奏を聴いてリズムと音程を伴奏に合わせるという訓練が全くなされていない為に、音程が外れていってリズムからテンポがどんどん逸脱し、結果的に伴奏から音程もリズムも乖離した、自分だけの歌唱をしてしまう状態に陥ってしまう現象に至ってしまいます。
聞く耳持たずで、自分の歌声も伴奏も全く聴いていません。
コレを解決するには、自分の歌声と伴奏を歌いながら聴き取る訓練と、音程とリズムを伴奏に合わせてコントロールする訓練が必要です。
絵に当てはめると、描こうとしている物を全く観察しないで自分の固定観念だけで描こうとしてしまっている状態に相当します。
そもそも訓練が出来ていないので、固定観念だけで絵を描こうとしても自分の引き出しの中のストックは貧困過ぎて貧祖な絵しか描けなくて当然です。
その為当方は、クルマのイラストに限定すれば最初は見本を下敷きにしてトレースする事から始める事を推奨します。
少なくともカタチの崩れはかなり防げます。
たぶん一番最初は、見本を下敷きにしていてもそれすら満足に描けない筈です。
絵を描ける人が描いたトレースとは線画だけでも仕上がりが全く異なる結果になると思います。
これは訓練を積み重ねて観察力を高めることしか解決策は無いので、常に下記のバイアスを掛けない事を意識し続けながら、一枚一枚絵を完成させてTwitterに投稿するしかありません。
しかし訓練すれば、勘が良くてバイアスの呪縛からいち早く抜け出せた人は、充分絵が上達する可能性を持っています。
- 観念的な意識が強すぎてバイアスを掛けた表現方法しか出来ない
絵の下手な人に最も重要で、最も克服するのが難しいのが、観念的な意識が強すぎてバイアスを掛けた表現方法をしてしまう点です。
絵の下手な人の最大の問題点は、観察する訓練が全くなされていない為に、常に自分の持つ観念だけで絵を書いてしまう点です。
「描く」ではなく「書いて」しまうクセから抜け出せない重篤な問題です。
一言で「絵が描けない」って言ってもこのくらい種類がある事を知っておいてほしい pic.twitter.com/KhkantuPAa
— とらうとさぁもん (@Harpuia_tomo) 2020年11月15日
子供の頃課外授業で、スケッチ大会を経験した事がある人も多いと思います。
絵の下手な人はそこに風景があっても、見たままを捉える訓練が出来ていないので、風景を全く見ずに、山・川・空・地面・木という記号を画用紙に並べただけのモノを書いてしまいます。
色を塗っても、空は空色、川は水色、地面は茶色と、実物を観察する事なく決めつけで塗ってしまいます。
これでは、わざわざ屋外でスケッチしている意味が全くありません。
この固定観念で実物を全く観察する事なく書いてしまう癖は、長年の間に形成されてしまった物で、体に染みついてしまっているのでそう簡単には払拭出来ません。
いくら絵の先生がじっくり観察して見たままを描きなさいと指導しても、観察の勘所が掴めていないので、じっくり観察したくても観察の仕方を知りません。
なので当方は、クルマのイラストに限っては、トレースから始める事を推奨します。
クルマは輪郭やカタチがハッキリしているので、余り悩まずに描き写す事が出来ます。
それでまず先に線で描く事に慣れる練習をしたい為です。
ちなみに人物や動物の顔や自然物は、境界線が曖昧でそれを輪郭線で描き分けるのは誰でも出来る事ではないので、トレースでの訓練といっても見本を下敷きにして描き写すこと自体が難しいので、トレースはクルマのイラストやセル画時代のアニメキャラぐらいにしか利用出来ません。
(※画像は顔を描く練習に専念する為に、顔以外は元絵を完全に丸写しして描いたものです。)
何枚も描き写しているうちにクルマのカタチに関しては、感覚が掴めてくる筈です。
- 漫画のデフォルメ
藤子不二雄氏や赤塚不二夫氏等の漫画は、単純に見たままを写実的に描画せずに記号化、単純化しています。
マンガ家の大先生が記号化しているのだから、記号化した表現でも良いのでは?と思うかも知れませんが、当方は賛同しかねます。
ピカソは独創的な作風が高く評価されていますよね。
《泣く顔の習作…ピカソ…1937》 pic.twitter.com/pLFlqnWXkE
— BON (@1632bdkrst) 2018年6月29日
下はピカソが14歳の時の絵です。
いきなり個性を主張して、初めから独特の画風で描いていた訳ではなく、14歳で既に絵の基本を完璧にマスターして、自分の世界を模索し続けた結果が、あの独創的な絵なのです。
画像出典:
漫画家諸氏も同様で、基礎を踏まえた上で、どう簡略化すれば絵を的確に見た人に端的に伝わるか?熟考した上での洗練されたデフォルメなのです。
なので基礎もキチンと習得出来てないひとが、漫画的にデフォルメした物を描いても、それは自分の画風でも個性でもなく、単なる模倣でしかないと思います。
記号化された物の場合、漫画家さんの描かれた必然性に基づいて的確に配置された物ではなく、単に記号を書き写しただけの物になってしまい、同じ山や木を描いても意味合いが全く違ってくる筈です。
後期になると主役であるはずの、おそ松くんたちは全くと言っていいほど登場せず。イヤミを中心にユニークなキャラたちがシュールなギャグを展開する漫画になっていきます。コントじみたドタバタを漫画で行っている感覚でしょうか。近年では、なかなか見られない「主役の交代劇」。今作だからこそです。 pic.twitter.com/YuFaGsns45
— 株式会社 新三洋 @U_ky@KBI48 (@youkey29362069) 2020年12月14日
- 他者との比較ではなく、自分の成長を比較する。
絵が得意な人が、子供の頃からずっと絵を描き続けて少しづつ上達しているのに対して、これから始める人は子供の頃で止まった長期間のブランクからのスタートなので既に差が開いています。
なので、絵が得意な人の絵と比較して劣等感を抱くのは無意味ですし、競って追い抜くには何年分もの練習を一気に習得する必要があるので、凄まじい練習量が必要です。
上手い人を目標にしたり、参考にして学んだりする事は非常に良い事ですが、劣等感を抱いたり、競って負かそうとするのは意味がないので、一枚一枚途中で投げ出さずに必ず一旦完成させるようにしてTwitterに投稿し、定期的に振り返って他者との比較ではなく、自分自身の進歩を実感して成長するのが望ましいと思います。
固定観念による決めつけの呪縛からいち早く抜け出して、見たままを表現できるようになる事を願っています。