前回クルマネタのみで終わってしまったので、今回は団地ネタを行います。
当ブログはクルマに関わるネタが原則ですが、今回はイレギュラーで府中三億円事件のクルマ抜きの話になります。
画像出典:
歴史に秘められたニッポンの「陰謀論」を解け!(1)三億円事件とロッキードの二大異聞 | アサ芸プラス (asagei.com)
- 犯人は団地マニア?
この犯行グループ、とにかく三多摩一帯の団地と呼ばれる集合住宅に出没しまくっていますw
- 出没地点
犯行グループが出没した団地(集合住宅)は以下の場所です。
- ひばりが丘団地 田無市/保谷市(当時)1967年12月13~14日(団地付近の墓) 1968年8月13~14日
- 晴見町団地 府中市 1967年12月25~26日(団地直近商店街) 1968年9月10~11日
- ブリジストン社宅 小平市 1968年8月21日 1968年8月28日(社宅最寄り駅の小川町)
- 多摩川住宅 調布市 1968年9月10日~11日
- 富士見町団地 立川市 1968年時期不明
- 小金井公務員住宅 小金井市 1968年11月11日(小金井団地に隣接)
- 多摩平団地 日野市 1968年11月25日~26日(団地直近の豊田駅前商店街) 1968年12月5日~6日
- 平山団地 八王子市 1968年11月20日 1968年12月1日(平山団地直近の鮫陵源) 1968年12月8~9日
- 中野山王団地 八王子市 1968年12月7日~9日
- 小金井団地 小金井市 1968年12月10日他
団地名は正式名でなく俗称です。今では名前が変わっている場合が多いです。
- 三多摩全域の広範囲
グーグルマップで犯行グループが出没した団地の位置をマーキングしました。
出没地点も盛り込もうとしましたが、多過ぎて煩雑になったので団地のみに絞りました。
☆マークは三億円事件の第一~第四現場と、多磨農協脅迫事件と多摩駐在所脅迫事件の現場です。
東京多摩地区の東寄りから北端、西端までかなり広範囲の10ヶ所に渡って団地の敷地内や周辺で窃盗を繰り返しています。
何故か東京都内(当時は23区以外は東京都下と呼んだ)で埼玉や神奈川には越境していません。
- 団地の人間関係の希薄な無関心さとは思えない。
新旧のジャーナリズムは「団地の人間関係の希薄な無関心さが、犯人たちの格好の隠れ蓑になった」と評していますが、どうも表層しか眺めていないようです。
今回資料と照らし合わせてみて、一部の古参の団地を除くと大部分は出来て1~2年か、全棟はまだ未完成で、入居が始まったばかりの団地です。
これらの入居者はほぼ皆同時に入居していて20~30代の若い同世代の世帯で、人間関係の希薄どころか、逆にこれから自分たちで住みやすい住まいの環境を整えようという意気込みで自治体活動も積極的だったように見受けられます。
人間関係が希薄になるのは、次第に入居者が代替して挨拶をしなくなったり、ゴミ捨てや共有部分のルールを守らない入居者が増えた段階からと考えられます。
- 団地の認知度
しかも、周辺の直近の地域の人達なら「最近出来た○○団地」で、旧来からの近隣住人にだけは通じるかも知れませんが、調布の住人に新設された八王子の団地を尋ねても、八王子の住人に府中の団地について尋ねても、即座にどの団地かイメージ出来る人は皆無に近かった筈です。
今回は、国土交通省の空中写真で団地の建つ前と建った直後の空中写真を比較してみました。
すると周辺の道路は、工事前・工事中・工事後のほんの数年で著しく変わっている事が見て取れます。
という事は、近隣の住人は、団地周辺を経由して移動する際の道順は、それまでと工事中・工事後とコロコロ変わっていた筈で、旧来の団地近隣の住人ですら団地周辺の変貌ぶりに戸惑っていたように感じられます。
他にも犯行グループは1968年4月25日から1968年8月22日までに、東芝府中の給料日やボーナス日に合わせて、多磨農協を5回脅迫しています。
この時に職員に現金を持たせてクルマで走るように指示したルートは、1967年に開通した直後の中央自動車道(当時の呼称は中央高速道路)の側道などを指定しています。
白バイを塗装したと思われる八王子の中野山王団地も、団地自体も入居は始まっていてもまだ未完成でした。
更に団地の敷地に隣接する中央自動車道も、事件の10日後の1968年12月10日に開通する区間で、地元民にしてみれば目まぐるしく周辺の道が変わっていた時期だった事が、国土交通省の空中写真を見ると判ります。
そんな近隣住人ですら馴染めていない団地ばかり選んでいる犯行グループは、団地マニアどころか尋常ではないレベルの団地通ですw
- プロファイリング
この犯行グループの団地に対する執着を考察してみると、直接の犯行グループのメンバーではなくても、接点のある人間に団地関連の仕事をしていた人物が居たとしか思えません。
当方は新卒当時店舗設計の仕事をしており、某王手量販店の担当に配属されたので、ある大手量販店の改装や新店の工事に合わせて、北海道から関西まで新たに改装する店舗に、各店舗に一週間程度は出向いていました。
その店舗の改装が済めば次の店舗の改装です。
こんな感じで多摩エリアの団地建設に関わって、次々と新しく建設される団地を廻る職業を探せば、工事関係者以外でも多岐に渡ると思います。
造成から落成まで長期間携わる土木建設工事自体ではなく、最後に納品や設置のみで団地全体でも数日通えば完了してしまうような仕事です。
例えば団地の公社から消火器の設置を請け負っていて、多摩エリアに新しい団地が完成する度に新築の団地に出向いて、各棟に消火器を設置していくといった感じの仕事などです。
このような職業の人物から新しい団地の情報をそれとなく聞き出して、利用出来そうな団地を吟味していたとしか思えません。
- 時間の重み
さすがに事件から半世紀以上経過してしまったので、リアルタイムで事件を知っている人も高齢化して減っています。
そして今回痛感したのは、半世紀で風景が変貌してしまうという事です。
今回、かなり詳細な住所の情報を得る事が出来たので、グーグルマップで位置を確認して国土交通省の空中写真で当時の状況と照らし合わせた上で、ストリートビューで現地を目視してみました。
しかしストリートビューの2009年の画像では残っていた建物も、2014・15年頃には敷地の区画自体から変更されて建て替わってしまっている場所が多く、大部分の団地も当時から建替えが進んでいて、当時の面影は消えています。
このような感じで現場から当時を検証する事も難しくなり、府中三億円事件も今後は急速に忘れ去られて、象徴的なワードだけ誇張・歪曲されて残り、現実からどんどんブレていく物と思われます。
- 手配写真の誤解
最後に団地とは関連ありませんが、多くの人が正しく認知していないと思われる手配の顔写真について述べます。
三億円事件というと必ず出てくる手配写真の顔ですが、事件後の1968年12月21日に犯人のモンタージュとの事で手配写真として公開されましたが、事件から3年後の1971年には手配写真との相違は関係ないとされ、1975年12月10日の時効の1年前の1974年12月に正式に破棄されています。
なので、あの顔写真は犯人とは関係ないものです。
そもそもあの顔写真自体がモンタージュ写真ではありません。
モンタージュの語源は「組み合わせる」なので、モンタージュ写真は眼鼻口といったパーツを組み合わせた合成写真でなければモンタージュとは言えない筈です。
しかしあの手配写真は、当時既に亡くなられた実在の人の顔をそのままハメ込み合成した写真です。
実行犯と目された、親が現役の白バイ隊員の息子の不良少年の顔に酷似しているという理由で、事件の10年前に微罪で検挙された際に撮影された写真を、遺族に無断で転用した物です。
三億円事件の容疑者のモンタージュ写真が、事件前に死亡した男性の写真をほとんど修整せずに(遺族の許可を得ずに)、そのまま使ったものなのは有名な話であると思う。何故、きちんとモンタージュ写真を作らなかったのだろうか?この理由が、三億円事件に関する本を読んでも良くわからない。。。。 pic.twitter.com/PgvQbrRqaS
— 中井寛一 (@ichikawakon) 2018年12月10日
警察に無断で使用された挙句に、1974年12月に破棄されても遺族には謝罪は一切ないとの事で、半世紀以上経過したも未だに三億円事件の象徴として使われるこの顔写真も、無断で使用された遺族が負った苦痛を考えると、遺族も三億円事件の大きな被害者だと言えます。
あの顔写真=犯人ではなく途中で撤回された物で、迷惑を被った人も居るという認識で見て下さい。
下の動画の4:48頃から、時効当日の一般庶民へのインタビュー映像がありますが、事件から7年経過して、そもそも情弱で正確な情報を積極的に得ておらず、沢田研二のドラマその他諸々の脚色されたフィクションに惑わされた人達の的外れな感想に、ちょっとイラッとしますがw、半世紀以上経過した今ではそもそも知らない人ばかりで、知っている人も動画の中の人以上に不正確な認識を持っていると思うと、少し残念です。
被害額の2億9430万7500円のゴロ合わせで、ニ・ク・シ・ミ・のない犯行と美化されますが、とても美化出来るような事件ではありません。
三億円事件は、創作の格好の題材として多く取り上げられています。
今回はAmazonで見つけた物を並べましたが、大部分は当方は内容を詳細には知りません。
あくまで創作という前提でご覧下さい。
1975年の作品で、犯行現場でロケをしているので、犯行シーンは1968年の面影が強いので、このシーンのみリアリティが強いです。
実録三億円事件 時効成立 [DVD]
作者の渡辺潤氏は、正に事件のあった1968年12月10日生まれで、町田市出身という事は多摩エリアなので、生まれた日に出身地の多摩エリア起きた事件という事で関心が強かったと思われます。
三億円事件奇譚 モンタージュ(1) (ヤングマガジンコミックス)
初恋
府中三億円事件を計画・実行したのは私です。
三億円事件の謎 (1980年) (文春文庫)
三億円事件 [VHS]
資料本の中ではかなり新しいほうで初出の鮮明な画像が多く、資料性が高いとの事です。
20世紀最大の謎 三億円事件 (別冊宝島 1574 ノンフィクション)
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