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【昭和史】府中三億円事件、犯行現場巡りの記録【1968年12月10日】

前回1975年の映画「実録 三億円事件 時効成立」を紹介しました。

 

今回は、実際の三億円事件で現金輸送車が辿った経路を当方が実走した時の記録です。

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 取りあえず、事件を最も忠実に再現していると思われる映像をご覧下さい。

 

  •  府中三億円事件

事件から50年以上経過しているので全く知らない人も多い筈ですし、知っている人も当時はインターネットのない時代で、情報源は新聞・TV・雑誌しかなく、伝聞に次ぐ伝聞や、小説やドラマ・映画等の情報と混濁して、不正確な情報で捉えている人も多いと思います。

 

 

概要は、1968年12月10日に東芝府中工場の従業員用のボーナス約3億円を積んだ現金輸送車が、府中刑務所裏の通り(学園通り)で、白バイに偽装されたバイクに乗ったニセ警官に「クルマにダイナマイトが仕掛けてある」と騙されて、車ごと現金約3億円を強奪されてしまった事件です。

 

犯人は用意周到で、事件の数日前に銀行に「支店長宅にダイナマイトを仕掛けた」と現金を要求する脅迫状を送り付けており、それを知っていた現金輸送車の乗員の銀行員たちは、ニセ警官が「巣鴨の支店長宅が爆破された、この車にもダイナマイトが仕掛けられているとの事で確認して下さい」と言ったので、すっかり本物の警官と思い込んで騙されてしまいました。

 

それまでの強奪事件での最大の被害金額が3100万円との事で、当時の3億円は今の価値で10~20億円相当と当時としてはズバ抜けた額の被害でした。

 

結局犯人は見つからず、1975年の12月10日に刑事事件としての時効は成立してしまいます。

 

罪状が暴力で強引に金品を奪い取る強盗ではなく、強盗より軽い罪の窃盗という扱いで、盗まれた3億円は保険で補填されて直接金銭的な被害を被った日本人は居なかった事から、当時は、誰も傷つけず被害も出さなかった犯人としてヒーロー視する風潮があった様ですが、実際には様々な人たちに被害や損害を与えているので、とても英雄視は出来ません。

  • 実際の経路を走行してみた 

当方はこの事件に興味を持っていた頃があり、2009年の3月に実際の現金輸送車の走行経路を辿った事があります。

 

今回はこの時の画像を紹介します。

 

2009年の国分寺駅前通り、この時点でも既に在りませんが、臼杵屋の看板の道を挟んだ対面に事件当時は日本信託銀行国分寺支店があり、ここで3つのジュラルミンケースに入れられた3億円を積んで銀行のG31型セドリックは東芝府中工場を目指して走り出しました。

 

1968年の10月(9月?)まで東芝府中の給料は、日本信託銀行から画像の赤い看板の三菱銀行国分寺支店(現三菱UFJ銀行)に一晩預けられて、三菱銀行から東芝府中に向かっていたとの事です。

 

何故か11月(10月)から直接日本信託銀行から東芝府中へ向かうように変更された模様です。

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画像で青信号が点灯している本町2丁目交差点で左折して、270m先の国分寺本町一丁目交差点で国分寺街道へ右折したと思われます。

 

JR国分寺駅周辺はJR中央線の三鷹―立川間連続立体交差化事業に伴う再開発で、この画像の時点からも更に変貌していて、昭和の面影はほぼ消滅しつつあります。

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国分寺本町一丁目交差点を右折して国分寺街道に入りました。

この日は事件当日と同じ雨模様でした。

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JR中央線のガード(殿ヶ谷戸立体)をくぐります。画像では今のガードはまだ工事中未完成で仮設のガードですが、完成後に埋められた模様です。

事件の当時は、更に古くて道幅の狭いガードでした。

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暫く国分寺街道を南下すると、東八道路の交差点に出ます。

国分寺街道で現金輸送車を待っていた犯人は、ここまで2ドアの緑色のカローラ盗難車で現金輸送車の前を一緒に走行し、画像の茶色い階段室のビルの脇の一方通行路を逆走して、すぐ先の空き地にエンジンを掛けて準備しておいたニセ白バイに乗り換えます。(第3現場)

 

当時はビルどころか東八道路がありませんでした。

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現金輸送車はそのまま国分寺街道を南下し、明星学苑前の交差点を右折して府中刑務所裏の学園通りを西に向かいます。

 

犯人のニセ白バイは一方通行の路地を逆走してショートカット。

先回りして現金輸送車を待ち伏せます。

 

犯人は、バイクに掛けておいたシートがバイクのステップに引っ掛けたまま引きずっている事に気付かずに犯行を続けます。

 

現金輸送車を見つけると犯人のニセ白バイは、後続のホロ付き軽トラックの陰に隠れて現金輸送車の後を尾行します。

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途中で現金輸送車を追い越して停車させ、犯行に及びます。(第1現場)

 

正確な場所は、現在の多摩運送府中支店の前辺りで、刑務所の監視塔よりやや東側の位置です。

 

先にある歩道橋は当時からあり、刑務所の塀は画像より車道側に建っていました。刑務所の塀は後年刑務所側にセットバックして建替えられています。その際監視塔もなくなりました。

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赤く点灯している信号が、府中街道との刑務所角交差点です。

 

本来ならそのまま直進してJR武蔵野線(当時は貨物線)のガード(当時は踏切?)をくぐって東芝府中の敷地に入場する予定?でした。

 

犯人は信号無視をして府中街道を右折、この時大型車と接触しそうになったとの事です。

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当時の府中街道の沿線は、畑の中に15~20軒の民家のブロックが散発的に並ぶ光景でしたが、マンションと住宅に替わっています。

東八道路もありませんでした。

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犯人は府中街道を400m先で右折との事でした。

当方は場所が判らず、340m先で右折しました。

 

画像ではファミレスが写っていますが、この近辺は長い事畑や植木の仮置き場?と古い戸建ての借家等が点在していた記憶が有ります。

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東京都国分寺市西元町3丁目付近で、幼稚園へ子供を送った帰りの主婦達の脇を猛スピードですり抜けて泥水を浴びせ、110番通報でナンバープレートの番号を通報されています。

 

この付近一帯は、畑や植木の仮置き場の中に、15~20軒の民家のブロックが散発的に並ぶ場所で、家が増えて建て替わってだけで当時の面影が残っています。

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史跡の国分寺跡付近です。

犯人は一つ手前の路地を左折して140m先の七重塔跡付近の雑木林で、現金輸送車のセドリックから、逃走用に置いておいた青い4ドアのカローラ盗難車に3億円入りのジュラルミンケース3個を移し替えて逃走しました。(第2現場)

 

乗り捨てられたセドリックは10時18分頃警邏中の巡査に発見されます。

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ここからは推定ですが、雑木林から路地を東に突き当りまで進んで左折して北へ進み、元町通りへ出たと思われます。

 

下の画像は元町通りで、対向車の脇のカーブミラーの角からカローラは出て来たと思われます。

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犯人が元町通りに出てきた際の経路と思われる路地。

この周辺は道が非常に狭く、当時の当方のクラウンでも走りたくない狭さです。

 

犯人はここを右折して西に向おうとして、出会い頭に農家の親子の車と衝突しそうになります。

そしてクルマを切り返して左折して東へ逃走します。

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画像のタクシーの先の東元町3丁目交差点が国分寺街道です。

この先犯人がどちらへ向かったかは不明です。

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上記の東元町3丁目交差点から、直線距離で約2.5キロ北東の小金井本町住宅駐車場です。(第4現場)

 

犯人は、その日の内にジュラルミンケースから現金を抜き取り、この駐車場にカローラを乗り捨てます。

 

シートカバーが掛けられていた為に発見が遅れ、翌1969年4月9日にトヨタ東京カローラ田無営業所のセールス二人が発見。

車内から、空のジュラルミンケース3箱が見つかった。

 

たまたま自衛隊が犯行の翌日撮影にした航空写真に、シートを被ったクルマが写っていたので、犯行当日には放置されていたと判明しました。

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この駐車場は当時、個別に区画が割り当てられていた訳ではなく、団地の住人なら自由に駐車出来たようで、クルマが放置されていても誰も通報しなかった模様です。

この団地の周辺の駐車場では、犯行グループが準備等に使用されたと思われる

プリンススカイライン2000GT
ブルーバード
プリンススカイライン1500

の盗難車も見つかっているとの事です。

 

三億円事件を題材にした創作は、様々な物が創られました。

当方は「実録三億円事件 時効成立」以外の内容は知らないので言及出来ませんが、以下Amazonで見つけました。参考までに・・


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