2022年5月22日(日)に道の駅富士川で開催された、第12回クラシックカーミーティングin山梨で見掛けたクルマの中から数台チョイスして紹介します。
まずは商用車からです。
- 第12回クラシックカーミーティングin山梨
クラシックカーミーティングin山梨は、山梨旧車倶楽部という団体の主催で定期的に開催されている模様で、前回2021年11月7日に開催された際に初めて見学し、今回が2回目の見学です。
【クラシックカーミーティング】
— 道の駅 富士川 (@michi_fujikawa) 2022年5月17日
第12回クラシックカーミーティング in山梨
を開催いたします。
5月22日(日)
受付 午前8時半~9時半
道の駅富士川 芝生広場にて
参加費 1,000円 先着200台まで
見学者は入場無料です。#道の駅富士川#クラシックカーミーティング pic.twitter.com/7VzXDGjwSr
- ダットサン 521
北米仕様のダットラ 派手なカラーリングとキャンパーシェルが、現地っぽさを強調しています。
細部を見ると日本仕様のフェンダーのウインカーが無く丸いリフレクター?
俗にカリフォルニア ミラーと呼ばれる大型のミラーは、社外品でしょうか?
後部にも側面には赤いリフレクター?ヒッチボール付きのリアバンパー(オプション品?)、ワイドなテールランプ、リアゲートのDATSUNの浮き文字等が日本仕様と異なります。
もちろん左ハンドルで、ワイパーの向きも逆です。
こちらが国内仕様のダットサントラック1500 521型
ダットサントラックは、1965年(昭和40年)に先代の320系から520型にモデルチェンジ。
当初は410ブルーバードに寄せた、521型より丸っこいフォルムでⅠ型は丸目2灯ライトでした。
Ⅰ型で小変更があったあと、Ⅱ型は4灯式ヘッドライトにマイナーチェンジ。
1969年(昭和44年)くらいに、フォルムを510ブルーバードに寄せてやや角張らせた521型にマイナーチェンジします。
1971年(昭和46年)に620型にモデルチェンジします。北米仕様は1972年頃まで521型のままだった模様です。
国内仕様の上級グレードは、このフルホイールカバーが装着されていましたが、北米仕様ではメッキのお椀キャップが標準だったようです。
国内仕様の低グレードは塗装のお椀キャップでした。
日本仕様は、この小さなテールランプでした。最終モデルなのか?こちらはウインカーが燈色ですね。赤一色の印象が強いです。
今回撮影した車両そのものがモデルかと思われます。
トミカリミテッドヴィンテージ 1/64 LV-194a ダットサン トラック 北米仕様 赤 完成品 316633
こちらは国内仕様、フィギュア付きです。
トミカリミテッドヴィンテージ 1/64 LV-195c ダットサン トラック 1300 デラックス 白 フィギュア付き 完成品 314950
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- トヨペット スタウト RK100?
このフォルムのスタウトは1960年(昭和35年)から1979年(昭和54年)まで20年弱の長期間、キャビン部分の基本的な形状は変更しないまま、マイナーチェンジだけで生産されていた為、マイナーチェンジでRK101になった比較的末期のモデルはそれなりの台数が残っていますが、この丸目2灯式ヘッドライトのタイプは最初期型なのでかなり希少です。
- スタウトの変遷
この、20年近くキャビンに大きな変更のなかった世代を一括りとすると、スタウトとしては二世代目のモデルとなります。
1950年代まで、元々トヨタの小型トラックには愛称がなく、トヨエースはトヨペット ライト トラック、ダイナがトヨペット ルート トラックでスタウトはトヨペット トラックでした。
オート三輪と需要が被ったトヨペット ライト トラックは、当初売り上げがイマイチでしたが、トヨエースと命名した途端に爆発的にヒットした為に愛称の重要性に気付いたようで、残りの2車種にもダイナ・スタウトと名前がつきました。
なので、トヨペット マスターやマスターラインと互換性のある外観の意匠を持つ初代は、1957年(昭和32年)にモデルチェンジで登場しますが、当初はスタウトと呼ばれずトヨペット トラックという名称でした。
1959年にようやくトヨペット スタウトと命名されて、1960年(昭和35年)に画像の丸目2灯式ヘッドライトにモデルチェンジされます。
この頃、日本の5ナンバー車の排気量の区分が1500ccまでから2000ccまでに繰り上げられ、クラウンを含む各メーカーの5ナンバーフルサイズ車は、それまでの1500ccから1900ccモデルをメインにして1500ccは併売というカタチになります。
これに沿うように、スタウトもこれまでの1500ccに加えて1900ccのモデルを登場させ、やがてそちらがメインとなります。
ハイラックスが出るまで、ライトスタウトなどの名前で1500ccで1トン~1.5トン車を出していましたが、ハイラックス登場後は1900ccの2トンがメインで1.75トンが併売され、最終的に2000ccとなりました。
1980年にハイラックスのキャビンを流用したモデルに移行し、その数年後にスタウトは消滅しました。
20年近い二世代目自体の変遷は、1960年、当初丸目2灯式ヘッドライトの1500cc(RK45)で登場し、間もなく1900ccのモデル(RK100)が加えられたようです。
1962年に丸目4灯式ヘッドライトにマイナーチェンジ、更に1964年にフロントグリルがマイナーチェンジしています。
1967年に、1979年まで続くフロントグリルにマイナーチェンジして、型式もRK101となります。
1967年までの初期モデルはテールランプの意匠が特徴的で、かなりレアです。
初期モデルはテールゲートの両脇に、三角形の縦型のテールランプが設置されていました。
1967年にRK101にマイナーチェンジして、テールゲートが目一杯開くようになり、テールランプはテールゲートの下に移行しました。
1967~1979年頃までと最も長く生産された、最終顔のRK101ですね。
トミーテック トミカリミテッドヴィンテージ 1/64 LV-189a トヨタ スタウト 青 完成品
70年代のカーアクション映画「暴走パニック大激突」を彷彿とさせる、レッカー車仕様も出ています。
トミーテック トミカリミテッドヴィンテージ 1/64 LV-188a トヨタ スタウト レッカー車 緑 完成品
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- ダイハツ ハイライン F108?
コレはかなりレアですねw
各メーカーがボンネット付きのトラックを出していた時代
1960年代中頃くらいまでは、各自動車メーカーは1~2トン級のボンネット付きのトラックを販売していました。
- トヨタ マスターライン/ライトスタウト/スタウト
- 日産 ダットサントラック/ジュニア
- プリンス マイラー
- 日野 ブリスカ
- 三菱 ジュピタージュニア
- マツダ B1500→プロシード
- いすゞ ワスプ/エルフィン
- ダイハツ D150・F175/ハイライン
- くろがね ノーバ
その後日本国内では1~2トン級のトラックは、荷台のサイズが最大に確保出来るキャブオーバータイプに移行していまい姿を消しました。
ボンネット付きのトラックは、キャブオーバータイプと比べて荷台のサイズが狭くなってしまう難点以外では
- 乗用車に近い操舵感覚
- 整備性の良さ
等の長所があります。
なので、日本国内では積載性を優先してキャブオーバータイプ以外は淘汰されてしまいましたが、乗りやすさ優先の北米や、1960年代の日本のような悪路が多く、操舵感覚の掴みやすさと酷使による整備のしやすさが重要視される東南アジア・アフリカ地域では、今でも日本のブランドのボンネット付きのトラックは販売されています。
一部は、RV車の四輪駆動車として日本でも売られていますね。
- ダイハツ ハイラインの変遷
1960年頃、ダイハツのトラックのラインナップでボンネット付きのトラックは、軽のハイゼット(初代はキャブオーバーではなくボンネットタイプだった)からいきなり1.5~1.75トンのD150・F175(Dはディーゼル・Fはガソリン)に飛んでいて、その間はキャブオーバータイプのVシリーズとオート三輪でカバーしていました。
1962年(昭和37年)D150・F175の下を埋める1トン級のハイラインが登場します。
当初は画像と同じデザインながら丸目2灯式ヘッドライトでした。
間もなく軽のハイゼットを延長して800ccにしたニューラインも出して、ボンネット付きのトラックも軽から1.75トンまで網羅しました。
その直後D150・F175は消滅
1965年頃丸目4灯式ヘッドライトにマイナーチェンジ、画像はこの頃のモデルです。ロングボディのF108かと思われます。
1969年(昭和44年)頃、当時としてはかなり斬新な角型2灯式ヘッドライトのモデルに外装を刷新しますが、既にこの頃ダイハツはトヨタと業務提携していて、Vシリーズの後継のデルタはトヨタのダイナとシャシ設計は共通となり、新たに発売されたデルタ750(セブンハーフ)は完全にライトエースのOEM(生産はライトエースもダイハツの工場)と集約化が進んでいたので、同じくトヨタと業務提携した日野のブリスカの後継車であるトヨタのハイラックスと被るハイラインは、1972年(昭和47年)には消滅してしまった模様です。
これ。なーんだ? pic.twitter.com/UoQbRWsVW8
— Rito☆ (@rito350gt) 2019年6月7日
長くなったので、とりあえずココまでw