カトラス☆アメ車☆旧車&イラスト

アメ車旧車を中心に、クルマにまつわる話を綴ります。

便利なぷらっとパークと中央道の廃道区間へのルート

前回紹介した中央道の廃道区間への行き方とぷらっとパークの紹介です。

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  •  中央道上野原インターからクルマで約15分(5.7km)

最寄りのインターチェンジは中央自動車道の上野原インターとなります。

併せてココの見学に便利なぷらっとパークも紹介します。

 

地図で見るのが手っ取り早いので添付します。

 

 

中央自動車道の上野原インターチェンジのゲートを出るとT字になっているので右折します。

 

斜面を登る感じで進むと、中央道を跨いで河岸段丘の台地で平坦な市街地となるので直進します。

 

国道20号線(甲州街道)に突き当るので左折します。

 

甲州街道を大月方面に進むと市街地が終わり、左手にコンビニ併設のガソリンスタンドと警察署、左手に市役所の場所に出て掘割りを下る坂道になります。

 

坂道の途中に信号機のない右折路があるので、ソコを右折します。(県道30号線)

 

つづら折りの坂道を下ると左折路があるので大きく左に曲がります。(橋を渡ってしまったらたら間違いです。そのまま直進でも辿り着けますが・・・。)

 

道なりに進むと中央道の鶴川大橋の真下を通過して斜面を登り始めます。

 

中央道の脇をアップダウンしながら直進して進むと、左手に廃道の2車線分の空間が駐車スペース風に出現します。ココに白頭稲荷があります。

(画像は逆方向(上野原方面)を撮影しています。)

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白頭稲荷前

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ココから約1.5kmが走行可能な廃道区間です。

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  • 栗原橋からぷらっとパークへ

旧中央道の上り車線を逆走するカタチで進むとバリケードに突き当り強制的に右折させられます。

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逆走しているので中央道時代の標識等の残置物は全て逆方向を向いています。

そのまま直進せずにバリケードの手前でくぐった跨道橋の栗原橋を渡ります。

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栗原橋は旧道上の古い橋と現道上の新橋が繋がっており、旧橋は狭くて離合不能なので対向車に注意が必要です。

 

突き当たるので右折して直進します。

 

勘助本舗とオリムピックカントリークラブを過ぎるとぷらっとパークのゲートがあるので右折して駐車場に入り駐車します。

 

駐車スペースは25台しかないので曜日や時間帯によっては満車の場合もあります。

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ぷらっとパークは中央自動車道のサービスエリア、EXPASA談合坂 下りの施設を外部から利用出来るように設けられた駐車場なので、ココでEXPASA談合坂内の店舗や施設を使用して食事やトイレ・休憩すると非常に便利です。

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先にぷらっとパークへ直行して休憩し、戻りながら廃道の標識等を見ても良いですし、栗原橋でUターンして廃道の標識等を見学し、白頭稲荷で再びUターンしてぷらっとパークもアリですw

 

廃道区間見学後はバリケードの地点から栗原橋を渡らない、もしくはぷらっとパークから栗原橋を渡って廃道区間へ向かわないと江戸時代の旧甲州街道の野田尻宿に出るみたいですが当方はアメ車なので道が狭くて通る気がしません。バイクや自転車での探索向け?ですかね。

野田尻宿まで出てしまったらそのまま県道30号線を大月方面に下ってしまうのもアリかも知れません。

但しそこそこの距離の山道を走る事になります。道なりに走れば国道20号線に合流するので道に迷う事はないと思います。

 

ぷらっとパークから廃道区間へ戻らずゲートを右折で出ると、細い道で野田尻宿を経由しなくても、すぐに県道30号線と県道507号線の交差点となります。

 

話を最初に戻して、間違って県道30号線のつづら折りの坂道を下って左折せず、鶴川橋を渡ってしまっても廃道区間へ辿り着く事は可能です。

 

県道30号線ルートでは鶴川宿の次の(前の?)宿場、野田尻宿を過ぎたトコロでぷらっとパークへ行くことが出来ます。

 

ただ野田尻宿自体はは江戸時代の甲州街道沿いなので県道30号線ルートではスルーしてしまうようです。

 

県道30号線を道なりに進んで中央道の下をくぐると、直進が県道30号線(鳥沢)で右折が県道507号線、国道20号線・四方津方面の標識が出ます。その交差点を左折すればすぐぷらっとパークです。

 

指示通りボーっと走っても廃道区間前後は、目的地までのつまらないただの田舎の山道となってしまうので、予備知識として周辺の解説を加えます。

 

国道20号線(甲州街道)の上野原警察署からの大きな下り坂の掘割りが明治の土木技術では困難だったので、馬車時代はつづら折りで川辺まで降りて、再び河岸段丘を登って鶴川を渡河したみたいです。

 

細かく観察するとこの馬車の甲州街道に寸断された、江戸時代のけものみちみたいな旧甲州街道の断片も随所に残っているようです。

 

廃道区間の周辺は中央自動車道の建設で山の稜線が大きくえぐり取られてしまった為に江戸時代の甲州街道は広範囲に消失した模様です。

 

高速道路だと一瞬で通り過ぎる場所にも、永い歴史が隠されているのですねw

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