時速100キロ近いクルマがビュンビュン走行している中央自動車道を歩く?
全国でも珍しい、高速道路の廃道区間を徒歩で歩いてみました。
山梨県上野原市にある中央自動車道の廃道区間の話です。
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全国に2箇所のみ
日本の高速道路で廃道区間となっているのは、中央道の鶴川大橋から談合坂サービスエリア(下り)までの区間と、名神高速道路の関ヶ原IC~米原JCT間の今須地区(岐阜県関ケ原町)のみです。
どちらも事故軽減の為の線形改良に伴う新道への付け替えですが、名神高速道路のほうは路盤の大部分は撤去され、わずかに遺構が残るのみのようです。
中央道のほうは、上り線は山梨県に売却されて県道となっているので走行可能です。
今までにも数回訪問していますが、今回は約1キロの廃道区間のうち、かなりの距離を歩行してみました。
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廃道になった経緯
中央道のこの鶴川大橋から談合坂サービスエリア(下り)までの区間は、S字カーブの急な坂道で事故が多発していたようで、2001年に現在の線形に改修されたようです。
当方は1990年にはクラウンを所有していたので、2001年までに何度もこの区間を往復していた筈ですが旧道の記憶が全くありませんw
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早速現地へ。
廃道区間の全容はこのドローンで空撮された映像で説明されています。
こちらの車載動画のルートで歩行しました。
まずは栗原橋跨道橋の上から
東京方面を望む。左側が県に払い下げられた県道で、元東京方面への上り線。
フェンスから右側が下り線で現在は封鎖されて資材置き場になっています。
大月方面。新道との分岐点が分かります。
廃道後はバリケードが設置され、強制的に栗原橋を渡って中央道の対岸に行くか県道30号線へ行くかの選択肢となります。
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いよいよ中央自動車道の廃道区間を歩いてみますw
跨道橋の栗原橋をくぐります。現道の新栗原橋と一体化している栗原橋ですが、新栗原橋より道幅が狭く渡っている途中で対向車と離合不能となるような造りです。[>>]の看板も中央道の残置物です。
こちらにも蔦に覆われた[>>]看板が残っています。
一ヶ所目の非常駐車帯の標識です、蔦でほとんど隠れています。
3月20日でこの状態なので、草葉の茂る春夏秋の季節ではクルマで走りながらではほぼ見落とします。
非常駐車帯に駐車して撮影。カーブの先にも黄色い看板が残っています。
長い下り坂速度注意の標識でした。今では40キロ制限なので意味ありませんw
長峰橋の銘板です。1968年8月となっているので中央道が河口湖まで延伸した1969年3月の直前の建造ですねw 当時は大月から甲府方面がなく、暫定2車線の対面通行だったようです。上下4車線になったのは1973年12月との事です。
大月から河口湖まではそのまま1984年まで暫定2車線の対面通行だったので幼少時のこの区間の光景は憶えています。
大月から先の甲府盆地に抜ける勝沼ICまでの開通が1977年12月で、勝沼から先が完成して全線繋がったのが1984年というのも意外ですw
中央道なんてとっくの昔から在ったような気がしますwww
長峰橋の橋脚の点検用のキャットウォークに行くための梯子部分。4基くらいあったと思います。
投雪禁止区域指定標示板の片割れが残っていましたw
投雪禁止区域指定標示板とは、除雪作業の際に橋で下に道路がある等雪を投げ捨ててはいけない区間を示す標識で、始点(禁止)と終点(解除)のワンセットなのですが、始点(禁止)しかないので延々と投雪出来ませんw
この下には相模湖17という暗渠がありました。
再び[>>]の標識。
ここで徒歩での高速道路の通行は中止し引き返しました。
この先は2016年の8月と12月に訪問した際の画像です。
2番目の非常駐車帯の標識。
この先急カーブ
廃道区間の東京寄りの末端は、旧大月方面側がちょっとしたスペースになっていて線形改良で撤去された神社が祠として移設されています。
資材置き場として使用されている旧下り線部分へのゲートとなっています。
次回この廃道区間へのルートや周辺情報を記します。
るるぶ山梨 富士五湖 勝沼 清里 甲府'21 (るるぶ情報版地域)
まっぷる 山梨 富士五湖・勝沼・甲府・清里'21 (マップルマガジン 甲信越 2)
山梨あるある ご当地あるある
山梨 土産 信玄武者ほうとう 野菜付き (国内旅行 日本 山梨 お土産)