2022年(令和4年)4月23日に全線開通した、国道20号線 大月バイパスを走ってみました。
併せて桂川渡河の変遷も書いてみました。
- 遂に全開通した大月バイパス
これまで駒橋~都留高校南区間のみ開通していた国道20号の大月バイパスですが、新たに都留高校南~大月IC入口の区間も開通し、全線通行可能となりました。
国道20号大月バイパス
— 275きろぼると (@275kV) 2022年4月23日
15時ちょうどに開通しました。 pic.twitter.com/wzLKEaoCj0
- 大月バイパスとは
大月バイパスは文字通り国道20号線、甲州街道の大月の市街地をバイパスするルートです。
総延長は、既に開通している分を含めても僅か3.2キロと数分で通過してしまう短い距離です。
これまでに
- 2006年(平成18年)甲府駅入口~都留高校南区間
- 2010年(平成22年)駒橋~甲府駅入口区間
の1.7キロ区間は開通済みでした。
国道20号 大月バイパス全線開通!
— 道路開通情報 (@road_open) 2022年2月17日
都留高校南交差点~大月インター入口交差点間が令和4年4月23日(土)15時に開通https://t.co/tRTYLT8Weq pic.twitter.com/yhQbnPlo4g
この区間が先行して開通していた事によって、甲州街道を相模湖方面から下ってきた車は、そのまま直進すれば大月の市街地へ入らずに市街を抜けられるようになりましたが、甲州街道を更に甲府方面へ下るには、都留高校南の丁字路交差点で右折したあと大月橋東詰の丁字路交差点を左折する手間があり、逆に上り方面では、大月橋東詰で右折しないとそのまま大月の市街地へ入ってしまう状況でした。
今回新たに都留高校南~大月IC入口間が開通した事によって、下り方面の大月の市街地に用事のない車両は完全に市街地をスルーする事が可能となり、大月インターを降りて甲州街道上り方面や(都留)富士五湖方面へ向かう車両もバイパス利用がメインとなりました。
これまでの甲州街道上り方面でのネックとなっていた、右折レーンのない割に右折車の多い大月市民病院入口交差点と大月橋東詰交差点の右折待ち渋滞と、歩行者も多くて狭い大月の市街地の走行、大月のイオン利用者の出入り車両の混雑を回避出来るようにはなったのですが、大月バイパスへの上り方面の入口は、甲府方面から下道の甲州街道を上ってくると、大月IC入口の交差点で右折する必要があります。
なのでうっかりボーっと走っていると、曲がりそこねてそのまま旧来の国道20号線を走ってしまう事になってしまいます。
- 交通の要衝?・大月
大月は、鉄道ではJR中央線の快速が、本来の区間である高尾から西へ延長運行する便の最西端の駅であり、富士五湖方面へ向かう富士急行線の始点です。
自動車では、中央自動車道は甲府を経由して長野の諏訪方面へ向かう本線と、富士山・富士五湖方面へ向かう富士吉田線の分岐点です
一般道も中央自動車道と同様に、甲府を経由して長野の諏訪方面へ向かう国道20号線 甲州街道と、奥多摩から富士山・富士五湖方面へ向かう富士みち 国道139号線が交差する場所で、ある意味道が分岐する「交通の要衝」です。
これは、相模川の上流となる桂川と、その支流の笹子川が大月で分岐している地形が要因です。
山間部の中の川伝いに、甲府方面と富士五湖方面に道や線路が敷設されている為です。
- かつては難所だった桂川の渡河
大月周辺は、富士山の噴火で流れ出た猿橋溶岩流の硬い岩盤で覆われており、桂川は硬い岩盤に阻まれて段丘面を形成しながら浸食する事が出来ずに、永い歳月をかけて20~30メートルの崖をつくりました。
#大月市 の市街地は山に囲まれ、ほとんど見晴らしの良い場所は無いと思うが…大月橋の上から見るこの景色は、立体的で素晴らしい👏 pic.twitter.com/oSuk0I1MZ8
— K-METAL(空想学園初代校長) (@progress777twi1) 2020年12月4日
その為、今のような土木技術のなかった明治初期までの甲州街道は、大月の宿場から一旦桂川の川面まで20~30メートル崖を降りて川を渡り、再び20~30メートル登る徒歩ルートだったみたいです。
下の画像の高低差をつづら折れの獣道で川面まで降りて渡河、再び登っていたようです。
大月バイパスが開通されたようですが。
— 乗合(限定) (@V80Hh6) 2022年4月24日
大月橋から見えるこの景色、
いつ見ても圧巻されちゃいます。 pic.twitter.com/Yv4sprY0an
しかも川面の橋は水害の度に流されていたようです。
赤い矢印が桂川と笹子川の分岐点で、水色の矢印が崖を下った江戸時代までの甲州街道の徒歩ルートです。
- 四代目となる甲州街道の橋
明治に入って鉄道や馬車の時代となり、中央線の鉄橋と日本初のコンクリート製橋台を持つ馬車対応の木製のトラス橋が掛けられたようです。
新たに開通した大月バイパスに掛かる大月バイパス桂川橋は、この橋から数えると四代目、五本目の橋となるようです。
下の画像が中央線の線路の北側で、撮影地点の足元辺りに江戸時代までの川面の橋があり、
前掲の写真のようにこの崖の上から川面まで降りて、再び登っていました。
下の画像の通り明治と戦時中の大月橋の痕跡と、現道の大月橋に主役を譲ったあと掛けられた新大月橋、中央線の鉄橋がこの場所に集中しています。
手前の石積みのが明治の大月橋と後に追加された橋脚跡
— 希少車戦士 (@mc31_ad10) 2019年3月3日
奥の赤色の奴の下の使って無いのが戦時中の大月橋
赤色のが戦後の大月橋
さらに奥の緑のが中央本線
猿橋同様交通の要所感が凄い pic.twitter.com/qxzeSZnKXK
- 桂川渡河の変遷
明治10年代、日本初のコンクリート製橋台を持つ木造トラス橋の大月橋が、中央線の鉄橋の北側に掛けられます。
この頃の甲州街道は今の大月橋東詰を、今は家の建っていて丁字路になっている北方向へ直進して中央線の線路を渡り、直角に左折して渡河していました。
昭和初期(昭和10年代後半・戦時中?)大月橋は明治の橋のすぐ脇に架け替えられます。
この頃の甲州街道は中央線の線路の北側を通っており、中央線の切り通しに沿って西に直進して渡河しています。
この橋はその後1970年(昭和45年)頃、新大月橋として架け替えられて現在に至ります。
空中写真で見ると明治の木造橋は、昭和初期の橋が掛った後も戦後の1948年頃までは使用の可否は不明ですが残っていたようです。
更に1980年頃までは、あとから補強で追加された橋脚が残っており、今も橋台と橋脚の根本の部分は残っています。
昭和33年(1958年)頃、中央線の線路の南側に今の甲州街道 国道20号線の大月橋が架橋されます。
この橋が掛けられる前の甲州街道は、大月駅の南側の繁華街を抜けて中央線の線路を北側に渡り、昭和初期の大月橋で渡河していたようです。
なので富士五湖・都留方面から富士みちを北上してくると、今の大月橋東詰で一旦大月駅方面に向い、コの字型に富士急行線を二回と中央線の線路を跨いで甲府方面へ向かうルートだったみたいです。
因みにR139都留側から見た大月橋東詰が、右の上野原方面は滑らかなのに左の甲府方面が非常にタイト(停止線越えたら大型絶対曲がれない)なのは、元々カーブだったところに大月橋が繋がり三差路化した名残。大昔は桂川に沿って北に道が別れ、線路を越えて直に旧大月橋に続いていたようです(現在は消滅)。 pic.twitter.com/9b04DtjJQt
— あおまる (@sagami_aomaru) 2022年1月25日
そして今回大月バイパスの開通で、新たに大月バイパス桂川橋が桂川渡河のメインルートにバトンタッチしました。
- 大月バイパス新開通区間を走ってみた
大月インターを出て、これまでは丁字路で上り東京方面と下り甲府方面の右左折でしたが、新たに直進方向が出来ました。
直進で中央線の線路をくぐり、切り通しで中央線の線路よりやや高いレベルまで一気に登って中央線の線路と並走します。そのまま大月バイパス第二トンネルへ入り、直後に大月バイパス桂川橋を渡った都留高校南の交差点までが新たに開通したルートです。
中央線の線路の南側を切り通しで一気に登り
大月バイパス第二トンネルで、現道の国道20号線より約300メートル南側に掛けられた大月バイパス桂川橋に出て
大月バイパス桂川橋を渡って都留高校南の交差点までが新たに開通したルートです。
下り方向では、開通済みの大月バイパス第一トンネルで都留高校南の交差点まで出て
開通した大月バイパス桂川橋を渡って大月バイパス第二トンネルを抜け
中央線の南側を並走して切り通しを下り
中央線の下をくぐると、大月IC入口交差点です。
直進で中央道大月インターチェンジ、左折で甲州街道 甲府・笹子トンネル方面です。
この周辺、地形的に狭い桂川の段丘面には従来の甲州街道が貫いて、周辺に家屋。
中央道は桂川の北岸の斜面にへばりつくように走って、中央線の線路は段丘の南端の斜面を削るように敷設されていて、新たに道を造るスペースは無く、結局斜面を削るような敷設の中央線の線路の、更に南側の僅かな農地とトンネル&橋を利用したルートなので、かなりの難工事だったように感じられます。
端的に纏められている動画がありました(^-^;
コレで大月の市街と一切絡むことなく大月をスルーする事が可能になりました。
反面、下道の山道をトボトボと走っていて、大月の街の賑わいで一息ホッとする感覚は、意図的に大月市街を通過する旧ルートを選択しないと感じられなくなりました。