アメ車は日本では長い事ダメ車と酷評され続けて来ました。果たしてホントにそんなにダメ車なのでしょうか?というアメ車論です。
当方は約30年近くの間に、1960年代から70・80・90・00年代のアメ車6台に乗ってきました。日本では長い事アメ車はダメ車のレッテルを貼られていますが、実際に乗ってみるとカーライター(あえてカージャーナリストとは言いません)の言うほどのダメ車ではない事に気付きます。
アメ車がダメ車のレッテルを貼られる主な原因の3点を述べます。
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80年代カーライター達のドイツ車至上主義
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アメリカ自動車メーカーの考え方
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日本の特殊な事情
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80~90年代カーライター達のドイツ車至上主義
旧来のアメ車は、足回りがフニャフニャでただ軽いだけのパワーステアリング、剛性感のないよじれるボディが欧州車、特にドイツ車と比較されて格好のディスられる標的として酷評され続けてきました。
日本の80・90年代のカーライター(あえてカージャーナリストとは言いません)にはドイツ車至上主義的な傾向が見られ、ベンツ・ポルシェ・BMW・アウディ・VWこそが最も優れているという論調がありました。
ここで足回りが締められて路面の状況を忠実に伝えるサスペンションと重めの手ごたえでレスポンスの良いステアリング、カッチリ剛性感のあるボディのドイツ車と真逆な性格のアメ車は、格好の比較対象ネタとしてバカにされる標的となってディスられ続けました。
当時はインターネット等の相互の情報網はなかったので、2流3流・Fランクのライターのデタラメな偏向記事でも、活字化されてしまうと権威あるジャーナリストの論評という錯覚を与えてしまい、読者は記事を鵜呑みにするしかありませんでした。
輪をかけてアメ車は日本ではサイズも排気量も大きすぎて、税金も意図的に吊り上げられていた為に実際にアメ車に接する人は少なく、実際のアメ車を知ることなくカーライターの吹聴が浸透してしまう事態となりました。
80年代初頭はようやく日本車が世界の水準に辿り着いた頃で、安くて故障しないという特色以上の日本車独自の個性という点までは達していませんでした。
なので、当時既に高水準に達していたドイツ車が、2流3流・Fランクのカーライター達の評価規準になってしまいました。
カーグラフィック誌初期からの小林彰太郎氏の文章等を読むと、アメ車に対して十二分に熟知した上で記事を書いている事が文面から見て取れますが、当時の2流3流・Fランクのカーライター達はドイツ車と真逆の性格のアメ車を対象としてディスる事で文章化しやすかった為か?アメ車に対してロクな知識も理解もないまま、ダメ車記事を読者に洗脳させてしまいました。
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アメリカ自動車メーカーのビジネス思考
当時の2流3流・Fランクのカーライター達は、無知と視野狭窄から、アメ車とアメリカの自動車メーカーの考え方を理解・学習する事が出来なかったようです。
当時ディスられていた点は主に下記の点です。
- ガソリンバカ食い。
- フニャフニャな足回り。
- ソファーのようなホールド性皆無のシート。
- ただ軽いだけのパワーステアリング。
- 剛性感のないよじれるボディ。
- 陳腐化目的の毎年モデルチェンジ。
コレだけ見るとドイツ車の
- 適度な燃費。
- カッチリ固めた足回り。
- 乗員をしっかりホールドするバケットシート。
- 手ごたえがあり応答性の良いステアリングレスポンス。
- ガッチリ剛性感のあるボディ。
- 小改良の積み重ねでコロコロ変えないデザイン。
が素晴らしいように思えますよねw
あたかもアメリカの自動車メーカーが技術力が低くてドイツ車のようなクルマが造れないような錯覚に陥りますが、コレ、単にアメリカの自動車メーカーの指向性の違いだけの事なのですw
アメリカ自動車メーカーは、1950年代から世界ではダントツの自動車生産量を誇っていました。
しかもアメリカ国内の自動車需要を満たすだけで充分採算も取れて収益をあげていました。
そこでアメリカ自動車メーカーは、アメリカ国内で売れる自動車を開発・製造する事に特化していく事になります。ガラパゴス化の始まりです。
アメリカ国内で売れる自動車は、誰が乗っても楽に運転出来て、舗装路とは言え荒れ気味で意外とアップダウンがあるもののタイトなコーナリングはない道路を、時速55マイル程度で1日に数百マイル運転しても疲れにくく、多少壊れても砂漠の真ん中で立ち往生しないで走るという性能が第一に求められました。
そこで頑丈で壊れにくく比較的メカニズムが複雑でない(多少壊れても動く・誰でもイジれる)エンジンを大馬力高トルク化(大排気量化)させてクルーズコントロールで自動運転化する事で、ドライバーの負担とストレスを軽減させました。大排気量V8のOHVエンジンとATミッションの組み合わせです。
当時の空冷ポルシェのように、精巧なメカニズムで高性能を引き出していた訳ではありません。
路面状況を忠実にトレースすると長時間の揺れと細かい振動がドライバーの疲労の原因となるので、荒れた路面の凸凹を拾わないで吸収してしまう柔らかいサスペンションにしました。
長時間のドライビングポジションの固定(タイトなホールド性の高いバケットシート)は姿勢が固定されてエコノミー症候群に陥るので、ルーズなソファーのようなホールド性皆無の寝返りの打てるシートとなりました。
ステアリングレスポンスが忠実過ぎるハンドルは、荒れた路面を馬鹿正直にトレースして常にハンドルを修正し続けなければならないので疲労の原因となる為、ややアバウトで軽く手を添えるだけでまっすぐ走る軽いパワーステアリングが好まれました。
ボディを年々大型化する事で長時間の乗員への細かい振動は減らせましたが、ボディが大きくなりすぎた為に、欧州車のようなガッチリしたモノコックボディでは応力が集中する部分に亀裂が生じてしまうので、わざと車体をよじれさせて応力を逃がすボディ構造を設計しています。(大型トラックが路面の段差で、キャビンと荷箱で別々の方向によじれているのを見たことはありませんか?アレとおなじ考え方です。)
陳腐化目的の毎年モデルチェンジは、文字通り消費者に代替を促すのみの行為ですが、コレも高価なプレス金型等が大量生産で1年で償却出来るからこそ成せる技なのですw
一方欧州では、国内の需要だけでは生産量に限界があり採算が採れないので海外に輸出する必要があり、そうなるとある程度の地域に適合する性能が求められる事になります。
ドイツにはアウトバーンが在り高速巡行性能も求められ、アルプスのワインディングロードでのサスペンションやハンドリング性能も求められました。
デザインを頻繁に変更しないのも、毎年プレス型を更新できる程の生産量でない点も一因といえます。
更に付け加えると、アメリカ自動車メーカーはビジネス面で根本的に考え方が異なっており、アメリカの自動車メーカーは戦前から欧州にも進出していましたが、欧州へアメリカで作った車を輸出するという発想ではありませんでした。
欧州の自動車メーカーを買収し、欧州では欧州に適合したクルマを欧州で開発させて販売し、そのメーカーを支配する事で収益を得ていました。
という事で、この辺のアメ車の生い立ちを全く理解しようとしない当時の2流3流・Fランクのカーライター達によって、日本ではアメ車はダメ車のレッテルを貼られてしまいました。
もし本当にアメ車がダメ車であったら、アメリカ国内ですらアメ車は全く売れない筈ですよねw アメリカ国内で売れるクルマの約50%はアメ車です。
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日本の特殊な事情
この当時の2流3流・Fランクのカーライター達のアメ車はダメ車キャンペーンを更に助長させてしまったのが、日本の特殊な事情です。
日本で本格的に自動車が普及しはじめたのは1960年代に入ってからで、欧米や欧州より30~40年遅れていました。
なので自動車は一部の富裕層の贅沢品という戦前からの旧態依然とした思考を引きずった法律や税制が長らく続く事になりました。
そこで大排気量のアメ車は超贅沢品とみなされて、凄まじい額の税金を科せられる事になります。
更に道路の整備が異様に遅れていて、地方では江戸時代の道を引きずった狭隘な道路が満足な整備をされないまま随所に残りました。車体の大きいアメ車には不利な条件です。
おまけに日本では自動車のガソリン等の化石燃料に約50%の高額な税金が上乗せされている為に、大排気量で燃費の劣るアメ車は圧倒的に不利となります。
輪をかけてアメ車の特性として、長距離を一定の速度で停止させずに走行させると本来の燃費となるトコロを、日本ではノンストップで長距離走れる場所もなく慢性的な渋滞で無駄に燃料だけ消費してしまい、本来の燃費に至らないというハンディキャップも背負います。
この為に大多数の人々はアメ車を購入する事はなくなり、実際のアメ車に触れる事なく2流3流・Fランクのカーライター達の吹聴を鵜呑みにせざるを得ない状況となってしまいました。
アメリカ国内用に最適化された品物と、ある程度万国向けに製造された物を日本の同じ土俵で戦わせたら万国向けが有利なのは当然です。
例えると当時の2流3流・Fランクのカーライター達は、F1とダンプカーをサーキットで競争させて、ダンプカーが全く用をなさず、F1がどれだけ素晴らしいかを情弱な人々に説いていたようなものです。ダンプカーをサーキットで走らせてF1より遅いとディスるのが愚かしい事はわかりますよね?
このようにして、当時の2流3流・Fランクのカーライター達によってアメ車はドイツ車と真反対な性格だった故にダメ車のレッテルを貼られ、情報源が限られ滅多に実物に触れる機会が無いが故に、本物を知らない情弱だった人々に悪い印象を植え付けてしまったのでした。
アメ車そのものがクルマとしてレベルの低い製品だった訳ではなく、目指す方向性が違っていただけで、あいにくその方向性が日本の自動車事情に合致しなかっただけであるという事をご理解いただけると幸いです。